改訂版のブログが好評につき、
シリーズ化が決定しました!
放課後等デイサービス
なのに、今回は最近抱えていたとある感覚が少し晴れてきた話を、
昨年末から放課後等デイサービスの設立を目指して、
様々な活動をしてきた中で、
放課後等デイサービスの意義とは?と自問自答の日々でした。
結果的に、今回は実現しなかったのですが、
時期が来れば必ず挑戦します。
塾
では、塾との違いはなんなのか?
と言われることでしょう。
この問いに関しては、次の単元で語らせてください。
Findは、「塾」と名乗っていますが、
どちらかというと、
療育的な面があります。
また、道徳的な精神を養うことに注力しています。
全学年を通じて“自分の力”を本人に気づいてもらいたいと思っています。
その上で、どのような選択をしていくのか、これも自分で選択できれば良いなと思っています。
仮に、支援者の方が必要であっても、
子どもたち一人一人が少しでも、
楽しく生活できる術を身につけてもらえるようにと願っています。
放デイの変化
では、放課後等デイサービスって何?となりますよね。
いわゆる“預かり療育”が主流の現在ですが、
2024年からは、放課後等デイサービスは大きく変わります。
「総合的な支援」がなされる施設や「専門的支援」がなされる施設でないと成り立たなくなるようです。
先程の回答となりますが、
私は、塾をやっていて、
塾型の放課後等デイサービスは存在し得ないと感じています。
なぜなら、一度に複数人(多くて5人ほどか?)を預かり、
さらに、放デイという形態の関係上、
先生も複数いる状況になる、
これでは、刺激が多すぎます。
個々人用の別室が用意されているか、
複数人を1人の指導員が見るスキルがあれば話は別だと思いますが、、
また、そもそも学習的知見のみで、宿題を見れば良いという話ではない、と思っています。
Findでは、塾と言いながらも、
ただ、学校の進度に合わせて授業をしているわけではなく、
視覚教材やオリジナルの個々に合わせた教材を使用しています。
本人に確実に知識が身に付くあらゆる方法を用いながら授業しています。
それに最大人数でも4人以下と設定して、
刺激の少ない状態で授業をしています。
誰かが崩れてしまったら、
そこからみんなで協力して楽しい空気に変えることが主課題に変更となります。
また、塾として運営していることで、授業時間枠が多く設定できています。
放課後等デイサービスとなると、
こういった配慮や臨機応変さが、現実問題どこまで実現できるのか疑問で、
これらのことから、
「塾型」としての放課後デイ運用は厳しいと感じていました。
そもそも、禁止となるので、
論じても机上の空論ですが、、
預かり型
現在、主流となっている預かり型の療育については、
一日の流れを掴んで自立支援をしたり、
野外学習で余暇の体験をしたり、
いわゆる総合的支援としての役目は、
十分にあると感じます。
保護者様の一人の時間を作ることも大事だと思うので、
そういった意味も合わせて持っているでしょう。
あとは、フリータイムなどの過ごし方を、
どこまで専門的見方で捉えられるかによると思います。
Findの放デイ観
私は総合的な支援が持てる放課後等デイの設立を目指しています。
4−5人までを一度に療育し、
個別で行うぱーととSSTなどの課題をみんなでクリアしていくことが、
大切なのではないかと思っています。
そして、一日のうちに必ず、
子どもたちが何か新しい発見をできるような関わりや課題設定を行います。
ただ、トラブルもなく一日が終わればそれで、
良かったねと過ごすだけでは、
「療育」と言えません。
例えば、今日は、言われなくてもジャンバーを着て自分で帰る準備をした。
この行為一つをとっても、
①それとなく先生がその子の近くにジャンバーを置いてみたから。
②友だちが着ている様子をみて自分で判断して着た。
③時計を確認して、そろそろ帰る時間だと思い、自分で着た。
今ちょっと考えるだけでも、
これだけの選択肢があります。
それぞれ段階がある中で、
今その子はどんな風に考えて生活しているのか?
それが、学習支援にも自立支援にも、
その子の将来についても大きな一瞬です。
そこまで、目をやって関わり、
その分析を次の支援に活かすことができるのか?
それが療育者だと思います。
そこに愛はあるんか?
私は、
「自分と関わってくれる選択をしてくれたのなら、それに応えるのが当然だと思う」
という至極当たり前の感覚と、
「自分に直接関わっていない子たちも、良質な支援・教育を受けていて欲しい」と思っています。
これは、障がいの有無によらず、
全ての子どもたちに思います。
まず、こう思うこと自体がおかしな話ですけどね。
もちろん、みんなそうあるはずなんです。
まあ、なんで今日はこんなに語るのか、
(華金の夜中だぞ)
と言いますと、
療育にも関する哲学書を読んでいて、
思うところがあったからです。
私は、恩師に
「塾業はやめとき」と言われました、
「このヒエラルキーのトップは東大に行くことだから」
と言われました。
この時、私は塾業を開くなんて一言も言っていません。
結果的に、「塾」と名のつく仕事を開業しましたが、
「自社の名誉のため」
なんて思ったことは一度もありません。
こう仰った恩師は、
とある地域で自由な学びの場を設けられました。
子どもたちが、
なるべく純度の高い自分の意志で、
笑顔が溢れる未来に迎えるよう、
ほんの少しだけ手を添えられる人間でありたいと思っています。
話がとっ散らかってきたので、失礼します。
良い週末を。
塾長 森
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