こんにちは。
相変わらずの暑さですが、皆様、体調お変わりなくお過ごしでしょうか。
本日のブログは、「なぜ療育塾のブログでいつも小難しいことばかり言っているのか」についてです。
自分・気持ち
先の問いに対しての答えは明確で「子どもたちのアシストになれば良いなと思っているから」です。
どういうことかというと、
このブログでは精神的なことや哲学的なことを多々記事にしていますが、
そうやって自己分析や日常の疑問をまずは主観で落とし込んでみることで、
だんだん視野が広がり、客観視することもできるようになります。
これだけでは、主体となる私が成長しているだけですが、
この繰り返しで得た知見や感覚を子どもたちに伝えてあげることで、
子どもたちが日頃から疑問に思っていることや、日常で不満に感じていることの糸口を見つけられると思っているからです。
簡単にいうと、「良い療育となるように」日々あれこれ考えているというわけです。
というのも、例えば療育で子どもに積み木の積み方を教えてあげる時、あるいは、折り紙の折り方を教えてあげる時、これは答えが明確に分かっているからこちらは何の疑問もなく教えることができますよね。
ところが、気持ちや日常のルールなどはどうでしょう。
これに関しては、目に視えるものではないため、子どもたちが身につけにくいとされている分野です。
そもそも私たち大人も一体どれだけ自分のことや社会のことを理解できているのでしょうか。
この一文にこのブログで私が記していることの意義が詰まっています。
そして社会は日々変化するものであり、確実な答えはないものだと思います。
それを子どもたち一人一人の疑問に応えられるよう、加えて言えば、子どもたち一人一人の思考の特性に寄り添ってその子がどの角度から世界を視ているかまで頭に入れた上で関わる必要があると思うのでそういったエッセンスを付けてやりとりできるようにしています。
いきなりの疑問に応えられないから「そういうもんだから」という逃げ言葉がまかり通っているわけで、それに応えられるように、日頃から自己研鑽しておく必要があると思うわけです。
言い換えると子どもたちの好奇心などは、本当に哲学的な疑問が多いということでもあります。
そう言った探究心を消してしまわないように、よりワクワクさせてあげられる回答をもった存在でいてあげたいです。
まだうまく気持ちを表現できない子どもたちにも、日頃からその子たちがどういったところに苦手さを感じているかを考えながら過ごすことで代弁してあげられたり、障壁を取り除いてあげられるものだと考えています。
これらの理由から、このブログでは、やや小難しい表現をしていますが、全て療育や教育に生かせると思うがために記しているわけです。
良いお盆休みをお過ごしください。
塾長 森
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