日記

とある夏

とある夏

連日の猛暑に猛烈な雷雨と、

心身ともにお疲れな方も多いのではないでしょうか。

今日は三重県中で花火大会が開催されるようで

夕立によって水をさされないと良いですね。

自分の道を行く

高校1年の頃、

選択授業で書道を受講していたのですが、

最後の作品でデカ目の半紙にデカ目の筆で自分の思う言葉を好きなように表現しようという授業があり、

そこで僕が書いたのが、

「自分の道を行く」だったなぁと、最近読書中に思い出しました。

経緯は、

その時の自分が思い描いた未来のビジョンがふわふわしていて、

とりあえず自分の思うように生きたいなと考えていたからだったはずです。
(サッカー部のKくんは「行くぞ、花園」とちょけていたことも覚えています。しかもあろうことか、Kくんの作品と僕の作品は図書室にデカデカと飾られることに)

漠然とはしていますが、

昔から根幹は変わっていないんだなとふと思い出したエピソードでした。

夏休み

子どもたちに夏休みの様子などを直に聞き込みさせていただいていますが、

コロナ禍を抜けて(今また流行っているので、適切な対策は必要と存じます)、

子どもたちの意識が変化していることを肌で感じます。

例えば、

ゲームばかりしている自分を俯瞰で捉えて

“エアコンの部屋の中で、ゲームしてるから人と喋るのが下手や”とか、

“外に出るのは暑いけど、少しは運動してないと体力がなくなるだけ”など、

いろんな子たちが俯瞰で自分のことを見て問題意識を持つまでになっています。

ここから動き出すのがなかなか難しいところではありますが、

客観的に見ることができていることがすでに良い兆候です。

中高生の塾生には、

やはり今しかできない経験を、と熱弁しています。

他者との関わり、みんなで何かを作り上げること、

そういった経験はかけがえのないものになるので、

勇気を出してみると世界は一気に拡張されると思っています。

かく言う私も、

特に高校時代は、

斜に構えた高校生だったかと記憶しています。

それなのに、

高3の夏にクラスの文化祭の出し物で映画を撮ることになり、

それの主役に抜擢されました。

選抜理由は、何を考えているか分からない、裏がありそうだから、でした。

クラス内の推薦で主役を決めた際には、

僕から見ても何を考えているのか分からない友だちと同点だったので、

多分相当に何を考えているのか分からなかったんでしょう。

もちろん、当時の僕はすぐに快諾するといったわけでもなく、

そこそこ不貞腐れながら流れに押されてその時を迎えました。

撮影日はみんなの夏期講習が休みに入るお盆からということで、

せっかく習い事も休止期間に入るのに、

なんで映画撮らなあかんねんといった気持ちがさらに増していました。

そんなわけなので、

脚本を書いてもらっている身ながら、

セリフもろくに覚えず、

ナチュラル不貞腐れ主人公の誕生です。

ところが、

他のみんなはしっかりセリフを覚えているし、

撮影機材やら小道具やらもバチっと準備してきている様子を見て、

申し訳ない気持ちと同時に、何事にも真剣に取り組むクラスメイトの方が何倍も学生生活を楽しんでいることを感じ、

気づけばノリノリで撮影できていました。

4日間ほどの短期決戦だったかと思いますが、

学生時代の夏の思い出として、

今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

現代風にいうと、

『屁理屈こきインキャに属していた高校時代の僕』という実体験があるからこそ、

塾生のみんなにはより熱を持って伝えたいことがあるわけです。

誰かと何かを作り上げること、

誰かと喜びを分かち合うことが嫌いな人っていないと思います。

そこまでのバックボーンがあったりして、

どうしても笑顔になれないことがあるかもしれませんが、

やってみないと分からない精神で、

挑戦してみても良いかなと思ってもらえたらなと思います。

引き続き良い夏休みをお過ごしください。

ちなみに、

このブログごとの画像はフリーサイトのものを使用しているのですが、

夏と言ってるのに一向に海に手を出さない自分の心理が分かりやすくて一人で笑っちゃいました。

塾長 森

URL
TBURL

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top