日記

育てる側として

育てる側として

こんにちは。

これで今年最後にしてくれっっ…!!と願いを込めながら草刈りをしていたら、

やはり色々浮かんでくるので連日投稿。

先日インスタのストーリーズにも投稿した東洋哲学についてのおもしろ本を読んでいるからかもしれませんが、

書こうとしていない方が書くことが出てくる状態なのかもしれません。

合うものばかり

昨年インスタライブをしていた時によく言っていましたが、

僕は、意図的に自分に合うものや合った人とばかり関わることを好んでいません!
(この時点で、変なやつ)

とか言うと、今僕とプライベートで会っている人は、ドキッとするかもしれませんが、

分かりやすく“合う合わない”で言っているだけで、

そもそもそんなもの“あまり”ないと思っているのでお気になさらず。

仕事で言えば、

自分のような障害福祉系出身者の意見に偏ることなく、

学校の先生はどう考えているのか、

進学塾の先生はどう考えているのか、

カウンセラーさんやどう考えているのか、

哲学者はどう考えているのか、

なるべく多くの側面から1つの物事について思考したいわけです。

もちろん、全く理解できない見解や、

穿った見方だなと感じることはありますが、

それもそれと捉えて、

どうしてそういうスタンスに至ったのかを想像してみることにしています。

ここまで、これを書いていて

『じゃあ、同志がほしいという願いは達成されへんやん』

という自分の内なる声がこだましてきました。

まさに、涙と希望のカーニバル。

いやいやそんなことはありません。

色々な立場の方々と繋がっていきたい気持ちはあります。

結果、割合としては自分に似ている部分が多い方が集まるかもしれませんし、

独創性豊かなメンバーばかりが集まるかもしれません。

ちなみに、僕の友人たちは、

めっちゃ僕に似ている人か、かなり似ていないかの極端な二分となっているような気がします。

しかし、そのどちらとも楽しい時間を過ごしているので、

特にどうなるかはその時の流れということでしょう。

メタモン先生

これも前々から言っていますが、

僕は、メタモンです。

と言うのも、

児童発達支援をしていると、

どんなタイプの子どもの対応が上手、またその逆も然りといった分類がなされてしまいます。

それでは特化しすぎていると感じ、

意識的に全タイプの子どもにチューニングできるように関わってきました。

それは元々学生時代からメタモン人間だと自分のことを分析できていたのが功を奏したのかもしれません。

その時は、まるで自分がいないようで虚しさを感じていましたが、

今となってはその真価を見出すことができてありがたい限りです。

高難度

現在が全ての子どもたちに、

もしかしたら嫌な経験になってしまうかもしれない自分とタイプの違う子どもとの関わりを強要することはありません。

それは難易度が高すぎるしリスクがあるからです。

しかしながら、子どもたちを育てる立場にある特にプロの方々には、

なるべくいろんな視座を持っていただくことが良いのではなかろうかと助言いたします。

今も、僕がブログを書いている最中に、

プロレーサーの友人は鈴鹿サーキットで爆音をかき鳴らしています。

自分という人生を生きるだけでは得られない経験は、

なるべく生の声で仕入れた方が面白いし身に染みるでしょう。

子どもを育てる(ましてや教える)立場の人たちは、

無意識に自分のものさしで測ろうとしてしまいます。

果たして本当にそうなのか?

研修会の座学で学ことが全てなのか?

子どもが言っている真意は何なのか?

自分が全て正解なんてそんな奇跡はほぼあり得ないはずです。

どんな意見もいきなり批判で跳ね返すのでなく、

一度受け止めて咀嚼してみることで第一印象とは違う本質が見えてくるかもしれません。

色眼鏡を外して真っ向から受け止めてみてくださいね。

塾長 森

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