
こんにちは。
あっという間に7月。
下半期突入となりましたが、
今年やり残したことはないでしょうか?
どんだけせっかちやねんと思われるかもしれませんが、
12月にこんなこと言っても、
実現確率は数%と言ったところでしょう。
今から目標を定めておかないと決して年内に達成はできないでしょうし、
きっとこの先も同様の課題が残ったままでしょう。
起業
若かりし頃の行動力に特化していた僕は、
とりあえず起業することを決めて、
心友中野(詳しくは過去ブログ参照)と、
他県で開催されていた起業塾に
「開業予定者」として飛び込みました。
行動力こそ抜群でしたが、
何の知識もないのに、
誇れる事業計画書もないのに、
ただただ無鉄砲に飛び込みました。
起業塾というからそんな人ばかりかと思ったのに、
大企業の重役ばかり来ていて、
一本取られて帰路についた覚えがあります。
そこで起業塾の先生がおっしゃられていたことは、
「根拠のない自信を大切にしろ」ということでした。
その時は、
根拠のない自信で参加していたので、
何をそんなこととほくそ笑んでいたのですが、
今となってはその言葉の重さがよく分かります。
創業社長となっている方に、
豪傑タイプが多いのは、
こういったマインドを持った方が多いからでしょう。
そして、
Findには根拠のない自信を持った子たちがたくさんいます。
その感覚に触れるにつれ、
密かに当時の自分と重ねる僕がいて、
今の自分を省みる僕がいます。
根拠のない自信があるのに、
大きな不安も同時に持っている子たちもいて、
こういうところに生きづらさを見出します。
一見すると共存し得ない感覚を二つ同時に持っているわけですからね。
かと言ってやはり、
社会の常識ばかりを教え込んでも良さを消してしまうので、
それはナンセンスですよね。
高校に行った生徒も増えてくると、
高校の先生って何故か面白い経歴をお持ちの方がいて、
そういった人たちの授業ってすごく面白いそうです。
まぁそらそうだろうと思いますが、
チャレンジ精神のある大人から学ぶことってものすごい大事です。
そう言った意味で、
多くの子たちにとって、
自分の身近にいる大人の中で、
一風変わったオーラをまとっているのが、
塾長森ということになっているのでしょう。
それは、
僕が現在も自営業を続ける意志を強く持っているから発せられているものでもあり、
ここで紹介しきれないほどの多趣味であること、
農家をしていた祖父、
全く別の自営業をしていた父の姿を見てきたので、
フリーダムな大人を教科書に生き続けてきたことも挙げられるでしょう。
言ってしまえば、
「社会」とは、
一線を引いた感覚は常々あります。
こうしてカフェでブログを書いている現在なんかものすごく感じます。
初めの一歩を踏み出す時は、
実はかなり勇気がいることでした。
根拠のない自信があったのに?と言われるかもしれませんが、
それが、先天的なものだったか後天的なものだったかは話すと長くなるので、
また気になる人は個別でお声がけください。
子どもたちの年齢が上がってくると、
悩み相談も複雑化して、
というかほぼみんな悩み相談をしてくれるのが嬉しいのですが、
僕の学生時代のエピソードをかなり多くの児童生徒に話しています。
すると、
「先生も大変やったんやな{だったんですね(中学生ver.)}」
「先生かなり変わってたんやな{たんですね(中学生ver.)}」
大体この二言が聞かれます。
僕の自分の中での大きな決断は、
いじめを止めに入って一緒にボコボコにされて、
ずっと続けてきた部活を辞めたことでしょうか。
その時の感情としては、
自力で解決できなかった悔しさが一番残りました。
ボロボロになって帰ったので流石に家族に心配されてことが大きくなりましたし。
もっと前の段階でどうにかしておくべきだったと思いました。
その出来事で最も辛かったのは、
今まで一緒にしてきた親友と立場が分かれてしまったことです。
ぼくは止めに入って、
多くの他のメンバーは傍観者だったので、
とっても気まずくなりました。
そして、その件以来、
あんなに喋っていたのに、
その部活の友達と全く喋らなくなったんですね。
これは非常に辛かったですし、
今でもどうにかしたい(したかった)と思う大きな出来事です。
小学生の頃から、
机に触れたくないだのなんだのという陰湿ないじめを見つけると、
「しょうもないやつら」と思いながら、
自分の当番でもないその子の机を運んでいました。
それは別に正義感でもないので、
先生にチクったりもしませんでした。
で、
当時は別にそれを誇っていたわけでもないし、
なんなら部活のエピソードはいじめられた側になるわけだから、
あまりオープンにしたくなかったわけでしたが、
今はそれを言うことになんの躊躇いもないわけですし、
子どもたちのこれからに活かしてもらえるなら本望です。
この部活事件で、
数ヶ月後に、
部活を辞める決断をしました。
この時が僕の最初の一歩でした。
そう間違いなく、
すると、
世界は変わりました。
まず、
情けない奴というレッテルを貼られると思っていたのですが、
それは違いました。
クラスメイトは、
少し気を遣ってくれながらもいつも通りでした。
こっそり外部で始めたテニスでは、
夏の大会に出られることになり、
一人で立ち向かっていたのですが、
たまたま同じ会場に部活で居合わせた同級生たちに応援されて逆転負けしました。
先日、
急に文書を送ってくれた親友ともこの件以来親密になりました。
彼は、
当時の理解ない環境で一人歯向かい続けていた鉄人で、
幼稚園からの幼馴染で要所要所で遊んでいたものの、
大人数での遊びは苦手で、
そこまで密に過ごすことはなかったのですが、
僕が部活をやめて中学3年生で同じクラスになったこともあって、
放課後帰宅部の僕たちは急接近しました。
朝読の時間には、
中学3年だし、
そこそこ勉強しとかなきゃ受からない高校を志望していたのに、
この彼に捕まって、
まずは、
淡水魚の図鑑を暗記させられることとなりました。
淡水魚には全く興味がないので、
僕は上手いこと言って、
彼に出題する出題者側で難を逃れられました。
しかし、
淡水魚が終わると海水魚の図鑑を購入してきたことは言うまでもありません。
この時も、
進学校組が大手塾の山積みの宿題に追われている感を見せびらかしていても、
少し気にする程度で、
最終盤まで魚研究に付き合うことができました。
彼は、
基本的に図書館で過ごすことが多く、
休み時間に僕と過ごすことは、
ほとんどなかったのですが、
実は図書館には、
釣りキチ三平の漫画が置いてあるぞという耳寄りな情報を教えてくれて、
何度かお供したことがあります。
こんなユニークな奴だったんだと、
その時まで知らなかった一面を知ることができました。
大勢の中にいると、
ついついそこから外れた子と思ってしまっていたのかもと自省しました。
それを契機にか、
独立国家を形成していた子たちと、とても仲良くなりました。
彼らは決して群れることはないので、
この面白さを他に広げることはできませんでしたが、
それはそれで必要のないことだったのでしょう。
まあ、とにかく色々ありました。
でもこの経験が間違いなく、
この仕事を円滑にしてくれていますし、
人生観を変えてくれていたので感謝ではあります。
いわゆるスマートではないかもしれませんが、
誰にとっても、
人生って色々あるものなので、
あれも良かったなと思えます。
でもそれは、
”今となっては”の話です。
現在進行形の子どもたちにとっては、
それが物価高よりも重大トピックスですし、
軽々しく扱ってはいけません。
将来を見据えたアドバイスをすることは良いですが、
現在をないがしろにして、
子どもたちからのSOSを見逃さないようにだけはしないといけません。
人は、
ついつい自分の人生になぞらえる傾向がありますが、
それも危険なことです。
全く同じ感情・環境の人はいないわけで、
あの時自分が成功したことが全て正しいわけなんてないのです。
そのことを念頭においてではありますが、
保護者様の学生時代の話なんかを赤裸々にしてあげるのも良いのではないでしょうか。
子どもたちに、
レストランに行ったとして、
家族が何をよく頼む?と質問することがあるのですが、
答えられない子が結構多いです。
些細なことでも、
自分を出してあげる、
逆に子どもの現状から自分を振り返ってみることは大切かと思います。
個人戦ではなく団体戦なのですから。
塾長 森
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