
こんにちは。
暑すぎますね。
今日は来る7/12の子ども哲学大集会に向けて、
グッズの買い出しや手土産の準備に勤しんでおりました。
昨日は、
遠方で働いている友人が顔を出してくれたので、
昼間からとあるカフェにて熱い持論をぶつけ合っていたのですが、
10人同時とまではいきませんが、
5人同時ぐらいまでは話を聞ける耳を持つ塾長森は、
周囲のやりとりが気になりました。
親子でランチを楽しみに来ていたようでしたが、
大人の言うことをやけに素直にきいていて、
「○○だね!ママ」と、
都度都度発言しているやり取りを聞いて、
「うーん」となりました。
親の顔色を過度に窺っている様子がある点もそうなのですが、
そもそも子どもに選択権はあるのだろうか?
食べ物に気を遣っていたり、
アレルギーなどで仕方なくといったことも考えられますが、
そうでないなら、
もう少し選択権をもたせてあげると良いのにな〜と思いました。
同様の感覚は、
Find内のやり取りで感じることもあります。
もっと子ども自身に選択肢を与えても良いのではないでしょうか。
前述したように、
様々なのっぴきならない理由があるのなら、
そこまでは言いません。
そうでもないことなら、
どんどん子どもの内なる声を引き出してあげましょう。
これは、Find最大の強みでもある、
待つ力ですね。
以前から自他ともに認めるこの感覚を大事にすることで、
子どもたちはみるみる変わっていきます。
この1学期は、
これまでの年以上に、
たくさんの子たちが悩まれていました。
そんな中でも、
Find内での活動では、
子どもたちはいつも通りどころか、
成長し続けていました。
静の空間とも取れる、
少人数の授業、
先生が待ってくれる安心感が、
大きな要因ではないかと思います。
学校などでは、
動の空間となっていて、
理解はできていたとしても、
その通りに実行できるかは別なのです。
サッカーや野球の動作を頭で理解していても、
その通り実践できるかは別であるように。
しかし、
イメージトレーニング無くして成長はないのと同様に。
療育が模倣から始まるのは、
視覚優位の子たちにとても分かりやすいから。
だからと言って、
「視覚優位の子だから」のレッテルを貼っていたのでは、
次の段階にいつまでも足がかかりません。
これって実はよくあるんです。
【子どもの心理】
不安感が強いケースも相まって、
“同じことをして安心したい。”
【療育者の心理】
“視覚優位だし、
違うことをすると乱れるからやめたほうが良い”
視覚優位を実践することは、
確かに素晴らしいことですし、
頭ごなしにきつい課題を提供し続けるよりは、
何百倍も良いことですが、
そればっかりもいかがなものかという話です。
この感覚の応用編が
「選択の余地」を与えるです。
ご家庭に例えると、
この遊びをさせ続けたほうが落ち着いている、
アイスはこの味が好きだろうからこれを買っておこう、
こだわりが強い、
偏食が強い、
などなど色々あるかと思いますが、
別にそれ“だけ”用意する必要はないですよね。
ここでも選択をさせてみると、
気が変わることがあるかもしれません。
そういう日常の一コマでも、
大きな分岐点って存在しているんですよね。
ぜひ、
そんな一コマに思い当たる節がございましたら、
保護者様サイドのこの夏の課題にされてみてはいかがでしょうか。
塾長 森
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