日記

“誰かのため”発進

“誰かのため”発進

こんにちは。

読書の秋かつ運動の秋を実施中の塾長森は、

いつにも増して執筆意欲が増しております。

本日は、

Findがメインに据えているといっても過言ではない道徳教育について。

答えがなくても良いじゃない

あなたの塾Findでは、

塾生の理解度に応じてですが、

ほぼ毎回、

道徳問題や身近な悩みなどについての問題を取り上げております。

授業を終えた後には、

時間の許す限り、

保護者の皆様にも出題意図や、

子どもの回答について考察する時間を設けております。

そのためか、

保護者の方々の道徳観が冴えてきて、

小学校などでの授業参観時に行われる道徳授業に違和感を覚えられる方が少なくありません。

この違和感の正体、

まずは、

“すでに答えが用意されているようである”

これに起因するのが大きいです。

実は、それだけではないように考えているのが今回のブログ内容。

そのもう一つの要因というのが、

“誰かのため”を重要視していることです。

もちろん、

結果として“誰かのため”の活動をすることは素晴らしいことですが、

繋ぎ合わせていったらそうなっていたというのが正しい感覚で、

元より、誰かのためを掲げてうまくいくことってそれほど多くないと思います。

理想論としては、素晴らしいことですが、

これから社会に出る子どもたちに、

特に高学年の授業でそういった考えで結論づけてしまうのは、

ナンセンスと言わざるを得ないでしょう。

では、どうしたら良いか?

何かを始める動機の一番は、

“自分のため”でしょう。

根底に自分が楽しめているから、

没頭して突き詰めていくことができる。

自分のためにしかなっていないようなことでも、

誰かのために繋がっているケースはあります。

その逆に、誰かのためにしていることが、

自分のためになることって実はあまりありません。

Find生たちは、

自分の興味あることに関しては、

並大抵ならぬ知的好奇心を発揮し、

とても詳しくなったり、

努力することができる傾向にあります。

学校の勉強全般にその能力を発揮できるわけではないため、

保護者の皆様からすると、

むず痒い気持ちになったりしてしまうのですが、

社会に出ることを考えると、

自分の得意(興味のあること)が、

はっきりしていることはかなりの強みになります。

自分にできることを見つけて、

その上で余裕が生まれてきたら、

誰かのための力になれている事を喜ぶことで十分なのではないでしょうか。

理想が高すぎて苦しくなって、

自己肯定感が下がりすぎて、

誰にも相談できないなんてことも考えられます。

綺麗事の道徳ではなく、

自分ができるラインのリアルな道徳こそ、

生きる力になるのではないでしょうか。

塾長 森

URL
TBURL

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top