今日はお昼に高校の大先輩で
塾を経営しておられる先生とお食事を一緒にさせていただきました。
たくさんの貴重なお話を聞かせていただけました。
長年経営されていても、
悩むこともあるようで、
そんな偉大な先輩も思うことは色々あるんだと知りました。
本当にお世話になりました。
回顧
先日、「あなたをプロデュース」を書いてから、
じゃあ自分はなんなんだと思うことがさらに増えました。
なんで自信家になったんだ。
そもそもその自信はなんだ、と。
はっきり言って高校時代の僕は無気力でした。
特に目立ちたいわけでもないし、
大きな目標があったわけでもない。
何となく入った大学でも、
どちらかというと自分のことが好きではありませんでした。
というか、適当にここまでやってきてしまった自分に苛立ちすらありました。
それでも、何となく教師を目指して多種の免許を取るカリキュラムを組んでいました。
そんな時、私の人生を変える大きな出来事がありました。
このままで良いのか?
そんな当たり前のことに真っ向からぶつかって考え抜きました。
その結果、私は自分の時間ぐらい自分で使いたいと思うようになりました。
そして、そんな風に前向きに生きられる子どもたちを増やしたいなと考えるようになりました。
勉強だけに限らず、スポーツ、遊び、何でも良いから全力で楽しめることを見つけてもらえるように指導したいと思うようになりました。
自分を知っているのは他でもない自分だけなんだ。
自分のやりたいことをやって何が悪い。
(やり切ってみることで自分の限界に気づく意も含む)
そう思うようになってから、
他人の目を気にしなくなりました。
他人
それだけど、
他の人と比べて生活する人がほとんどですし、
家族や友人のほとんどがそうです。
あの人がああいうからそうなのかもしれない。
これも何回も言っていますけど、
結局のところ自分で経験してみないと分からないわけですから、
そんなことで決めるのは早計すぎると思います。
無気力だった私は他人の声に流されて、
テストで何度も同じ過ちを犯したという経験もあります。
他人は他人と軽く流すことも時には大切かもしれませんね。
友人
私は昔から友だちづきあいが広かったんじゃないかと思います。
頭の切れる賢い友だち。
何をやってもうまくいかない友だち。
家庭環境が複雑で進学できなかった友だち。
イレギュラーな道だけど自分を信じて戦っている友だち。
みんな性格も顔も何もかも違うけど、
かけがいのない友だちです。
そんな友だちたちは自分の人生をどう思っているんでしょう。
また今度会った時に聞いてみようと思います。
「お前幸せ?」って。
挑戦
話が脱線してしまいましたが、
私の話に戻しましょう。
(お前自分のことばっか話すなというツッコミが来そうですが)
結局のところ、
子どもと関わっていることで、
自分が挑戦している部分が大きいんだと思います。
まだまだやれるだろって自分の可能性にかけているんだと思います。
子どもの成長を望んで、自分も成長する。
そんなことを無意識に行なっているんでしょうね。
多分。
たま〜に私も負のオーラを放つ時があるのですが、
そんな時は自分の大好きな歌を聴いて
とにかく大声で歌っています。
“誰かのものさしで自分を測ってたんじゃロマンが足りないんじゃないか”
うん。絶妙。
私が考える「幸せ」とは、
自己肯定感を持てている状態。
たとえ、貧乏でも学歴がなくても、
自分が満足して明日を待ち望める状態であるなら、
幸せなんじゃないかな。
あくまで、2018年6月での私の考えですが。
私は幸せです。
塾長 森
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