ここには来たいというのに、
他には行きたがらなくてという声が多くて嬉しい反面、
どうするのがベストか常々考えています。
そんな声を聞いて
僕自身の将来展望も
より良いものがあるのではないかと模索しています。
こんな教育の在り方がありますよ。
とかこんな活動されている方がいますよ。
などなどご存知の方は
どうぞお力添え頂けると幸いです。
そういえば先日、
ブラック校則に関するニュースを目にしたのですが、
地毛証明書?のようなものを提出しなければいけない学校がある反面、
毛染めもOK、ピアスもOKなどととても自由な学校が紹介されていました。
校則フリーな学校の先生によると、
リスクも伴うことだが、
社会に出た時に自分で判断していかなければいけないのだから、
今の時期で失敗を経験しながら成長していくことは重要なことだと思う、と話されていました。
まあ正直校則ってなんだか意味わからないことが多いですよね。
今思い返せば中学の時の制服や学校のジャージの時はヘルメット着用義務ありだったのに、
私服の時はお咎めなしだったのはあれ完全にアレですよね。
量より質、そして質の上に量がくる
ここからは僕の指導者としての考えを。
塾や他の習い事、部活等活動時間が長ければ良いというものではないと考えています。
Findに置き換えると通塾回数が多いことが全てではないと思います。
そんな中で子どもと関わる時間、
子どもからすると先生と関わる時間は貴重なものです。
その時間についてはしっかり接し、
丁寧なやり取りを心がけるべきだと思います。
そしてそのようなやり取りの上で、
何か良い変化が生まれた時に量を求めるものだと思います。
この段階に来てようやく「量」が議題に上がるはずです。
何もしていないうちから早計に決めてしまうのは怖いことだと思います。
そのために
子どもが居心地が良いと感じ、
教える側も満足のいく授業を送れていると感じることが大切です。
そしてその授業で感じたことを
どれだけ日常に組み込めるか、
自分自身の力に落とし込めるか。
ここまでできてこそ存在価値があると思っています。
正直これは難しい。
そして投げ出してしまいそうになったり、
口を挟んで誘導しそうになってしまいます。
ほら、どうしても早く行かなければいけない時に、
子どもが靴を履く前から抱きかかえた経験がありませんか?
僕はその一回の靴を履く練習をするチャンスを摘みたくはないのです。
そして日常ではそれがどうしても難しいことを知っています。
だから、なるべく子どもが早く靴を履いてくれるようにもっていく指導をしています。
それが子どもの自主性を引き出す、
待つ指導です。
待って待って待ち続けます。
引き算の繰り下がりの問題なのに、
明らかに足し算と間違えて計算している。
そんな様子を見ても
決して口を挟みません。
それが僕です。
その間違いに気づいた時に、
①式から全て消す
②符号だけ書き換える
③うまく繋げ字で誤魔化すのか
ほら色んな面が見えるでしょう。
そしてこの何気無い選択肢がその子の個性に繋がっています。
ここまで見れると面白いですし、
その後の指導に活かせるので
まるで魔法使いになった気分になれるのです。
ちなみに僕は③です。
要領は良いが独りよがりなところがあるという感じですかね。
こんな感じで気づきを日常レベルに落とし込むことで、
僕の目的は果たされていくわけです。
はてさて僕も存在価値を高められるように
もっとギアを上げていかなければいけませんね。
森
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