こんにちは。
今日から少し肌寒くなりましたね。
先日、旧友と話す機会がありました。
彼は、勉強が本当に嫌いで、学校でもいつも先生に反発していました。
そんな彼と喋ってみて、人ってどうなるか分からないから面白いな、そう感じました。
「人生って蜘蛛の巣やと思うの」そう発したのも彼でした。
そして、「俺がこうやって真剣に熱く語れるのも自分と向き合って今までの自分では選ばんかった道を選んだからなんさ」と力強く話していました。
お互い、俺らが語り合うなんて当時の同級生は誰も想像せんかったやろうな、と笑い合いました。
僕も人生は、選択の連続であると考えています。
人生は、BとDの間のCだ(ジャン=ポール・サルトル)
哲学者のサルトルもそう言っています。
この哲学者の主義主張は、僕はそうは思わないので思想的な部分はカットしますが。
無数に張り巡らされた蜘蛛の巣から、
「Yes・No」を選択し続けて存在するのが自分であり、
それが常に正解である確率なんてそれはそれは天文学的なものであるはずです。
そんな中に「圧倒的動機」となるような何かを引き寄せることができていたら、それで十分です。
現在は悲観的な時の人だっているでしょう。
僕は、これまでのかなり多くの人生において、自分は不幸な人間だと思っていました。
幸運なことが訪れても、どうせそのうち不運が来るに違いない。
どうせ自分なんか。そう思うほどに塞ぎ込んだこともありました。
Q.諦めますか?
「Yes・No」
この選択肢の先がどうなるかは言わずもがなでしょう。
ちなみに、僕もその友も、ずっとこの質問には「Yes」できていました。
圧倒的に抗えない何かにぶつかり続けたもの同士、自信を失っていたのだと自己分析できます。
そして僕たちは、いつかのタイミングで「No」を選べるようになったのです。
どうしても変えようがない何かが降りかかって来た時、諦めるのではなく、もう一度自分を振り返って、この先どうなっていきたいか?それを考えることができれば、その人はその時点から今までの自分から脱却したと言えるでしょう。
それには、仲間も大切です。
前回のブログと繋がって来ますが、悩みを相談できる人を見つけることは、非常に大きなことでしょう。
もちろんそれも一つのテクニックであって、それぞれにとっての脱却法は存在すると思います。
今の現状に何かモヤモヤを考えている人は、
自分は何がしたいのか?どうなりたいのか?を考えられると良いですね。
通塾生
とまあ、人生について語り続けてなんですが。
これは誰向け?と思うかもしれません。
もちろんどなたに向けても書いています。
Findに通ってくれている子どもたちは、
実はこういう話が大好きです。
みんなこれまでの人生で様々な経験をして来ています。
どちらかというと、不遇な経験の方が多いでしょう。
でも、それはすでに「圧倒的動機」、そして相談できる相手(=僕)をポケットに入れているわけです。
逆に、新規のお悩み相談があった時の僕の相談相手は、全ての通塾生です。
子どもたちは、恥ずかしがって保護者様の前では、真剣に自分について語ることは少ないでしょう。
それでも、もう彼らはすでに強い心を持っています。
まだ、クラスの中では、ついつい感情が抑えられなかったり、閉じこもってしまう面もあるでしょう。
でも彼らは自分の気持ちに向き合うことの大切さを知っています。
あとはそこに加えて、十人十色な他者からの対応を想定することができれば、幾分パニックは起きないでしょう。
この辺りはどうしても経験が必要です。
仮にそういったトラブルが起きた時も、僕に相談してくれます。
実施している内容は2000年前のギリシャ?とか思われるかもしれませんが、そういったやりとりが実に有意義です。
もちろん何かの思想を強制するつもりは一切ありませんので、ご安心ください。
何があるかは分からないから面白い。
塾長 森
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