こんにちは。
教特法の改正などで、
色々大変そうな教員の皆さん。
知人の話などからも日々残業している様子が窺えます。
その残業代なども今回の教特法の重大な論点となっていますが、かなりシビアな心情なのではないでしょうか。
文科省は理想を掲げるのは良いですが、現場の声を聞けているのかな?というのは、外部から見ても感じます。
公務員だから仕方ないで片付けられるのはきついかもしれませんよね。
本当に子どものことを考えて行動したい先生も、管理職の方達と意見が違えば思うように動けない面があることも感じます。
この辺りは、どんな仕事でもあることですよね。
例えば、レジ打ちをしていて、明らかに大量の買い物をしたおばあさんのカゴを荷詰め台まで運んであげるか否か。
マニュアルでは、不必要な行動でしょう。
この場合はお婆さんへの善意があるかと、次のお客さんへの誠意があるかでしょうね。
学校現場の場合は、気になることがあった子どもへの配慮というか、組織に勤めるものとして本当は良くないのかもしれませんが、多少の情が動けば良いだけではないかと思います。
この場合は、次のお客さんが来るわけではなく、管理職への覚悟と自分の責任感・自分の時間が多少削減されるぐらいでしょうか。
気になることがあった子どもへの配慮は決して贔屓のようにしてはいけないとは思うので、まずは寄り添ってあげて、そこからうまくクラスや部活などの全体に還元することは忘れてはいけないと思います。
ただ、逆に、使命感や責任感を強要しすぎるとパワハラやなんだとなってしまうのでしょうね。
これも学校に限ったことではなくどんな職場でも発生してくる問題ですよね。
先日、中学生と興味深いテーマで話しました。
忍耐ってどうやってつくと思う?
例えば、部活だったら、厳しい練習に耐えて全国大会に行くことやレギュラー争いなんかがあるよね。
すると、文化部の彼からは「え、試合に出させてもらえないのに練習しているんですか?」
ここで、なるほどなぁと思いました。
というのも、運動部出身の自分からすると、
「試合に出れない」という気持ちになるところ、
「試合に出させてもらえない」という表現だったからです。
チームで何かをしたことがないからそういうことを考えたことがないと言っていました。
その表現だと、責任は相手側にあって自分には落ち度がないってことになるよね?
「あぁ確かに、そういうことですね。
なんでも他人のせいにしがちな思考がこういうところに表れるんですね」と。
「でも自分は、興味のあることなら自分がもっと上手くならなきゃという気持ちになります」とも言っていました。
経験もないことがテーマだったので、責任感を考えたこともなかったようでした。
責任の所在というのは、他者から強制されるものでは決してなく、
自分から自然発生するものなのだと思います。
こういう自分の気持ちがから自然発生するような動機ありきの行動を中動態というそうです。
能動態と受動態という言葉を聞いたことはあると思いますが、昔は中動態という言葉が重視されていたようです。
つまるところ、中動態で行動できるかどうかが、教師の方々にも大切なポイントとなるでしょうし、
そこに責任が芽生えたのならそれはもう貫き通した方が良いでしょう。
ここまで語ってきてなんですが、
自分は教員経験はありませんが、教員免許を4枚持っている変人です。
現役時に、とある政令指定都市の教員試験で最終選考まで進んだのに、グループワークを盛り上げすぎた罪で全員道連れにしてしまった過去があります。(もちろん全員初対面で、みんな明るい人だったのですが)
なぜ、教員にならなかったかはちょくちょく話しているかもしれませんが、
大学4年の冬に、高3の時の担任の先生に会ったときに、「教師になります」と伝えたら、
ものすごい目を見られて「そうか、森、自分のやりたいことやれよ」と言われたからです。
その時、中動態が覚醒したと言っても過言ではないです。
それを言われる前から、
教師になっても30歳ぐらいになったら、同志を募って絶対起業してやると思っていました。
残念ながら同志はいませんが、予定よりも5年前から塾を起業できていますし、
ほとんどの活動を中動態で行えています。
教師の今の問題を、大学生時代から予期できてしまっていたのです。
戦前逃亡のようですが、『孫子』には、戦わずして勝つことも書かれています。
この時期に自分の思考が正しいか気になって読んでみたら書いてあったので確信してルート変更しました。
教師になったら、多分自分は異端で意見を通し続けることも厳しいだろうなと。
今は、外部から学校に新鮮な意見を送れるよう頑張ろうと思っています。
お婆さんのかごは台に乗せてあげてから、荷づめが完了したらカートに乗せてあげることに誰からも口出しされない居心地の良さと言ったらないですからね。
塾長 森
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