日記

ネジ締める?緩める?

ネジ締める?緩める?

こんにちは。

昨今の教育・療育業界だけでなく、

その他のジャンルに対して考えていることをば。

ネジ締めて、それでどうなる?

例えばコンプライアンス、

SNSなどでの不適切発言(との判断)

編集で真意をカットできてしまったり、

活字で語る文化が全盛期の現代では、

発信者の真意を読み取れなくなりましたよね。

AIがそれを検閲して排除していっています。

それが当たり前と感じていく次の世代の子たちは、

言葉の表面の表面だけを削り取っていってしまうのではないでしょうか?

ネジを緩めて、それでどうなる?

一方で多様性など個人の権利を主張する風潮も同時に存在しているのが現代。

こちらは、

社会に適用していくのでなく、

社会の側が個人を理解するよう求めるようなイメージです。

療育の考え方はこちらに拠っており、

環境設定を整えるべきという意見などがその一例です。

Findからみた社会情勢

上記のような世界に生きているわけですが、

この世界が行き着く先はどこなんでしょうか。

ぼくは、気の合う仲間が気の合う仲間だけで集まる、

または、個人が個人として活動していく、

そんな「令和の戦国時代」へ向かうのではないかと感じています。

果たしてそれがあるべき姿なのでしょうか。

もうすでにその兆候は随所に見られています。

例えば、推しの文化もそうです。

学校現場でいえば、支援学級と交流級。

両者に在籍しているのに、

なぜか支援学級での活動を把握し切れていない交流級の先生。

それはなぜ?

分断してません?

なぜ、ネジを緩めるときもあれば締める時もあると考えられないのか。

もちろんセンスも必要でしょうが、

きっとみんな「めんどくさい」だけなんでしょう。

情報交換することがではなく、

細々とした設定によって、

自分の立ち位置を変えることがです。

そういった意識を持ち続けることは、脳を使うので消耗も激しくなります。

「0か100か」「表か裏か」

これは確かに楽ですよ。

機械的に判断できますからね。

発達障がいの子どもたちは、

他者とのコミュニケーションが苦手だそうです。

本当にそうでしょうか?

発達の遅れにより、習得に時間がかかることはあるかもしれませんが、

本当に苦手ですか?

気になる方は、是非ご来塾ください。

先日、とても熱心な先生が来塾してくださいました。

そういった方どんどん歓迎しております。

“侘び寂び”の精神を持っている人がどれだけこの日本に残っているのでしょう。

塾長 森

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