ふと浮かんできたのでこんな時間にブログ投稿。
読書家のイメージが先行しているかと思いますが、
実はスポーツもかなり好きでして、
スポーツ選手が語る“秘伝の書”を見聞きするのが特に好きなんです。
同じ競技でも語り手によって、
注意点が違ったりして非常に興味深いです。
結果が全てのプロの世界において、
それぞれの型が存在して成り立っているのって、
めちゃくちゃ興味深いし奥深くないですか?
注意点は違っても、着眼点は同じだったりして、
何より型は違えどそれぞれの根拠を理解しているスタンスを取られた話し方をされる方が多くて、
器の大きさに感銘を受けます。
知識がないので定かではないですが、
きっと美術の世界でも、
職人の世界でも、
そういった境地を持って仕事をされているんだろうなと思います。
有名な話では、
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・・・・つまるところかの有名なピカソさんは、
若かりし頃は基本に忠実な絵を描かれていたそうで、
突如としてメッセージ性の強い画風になったそうです。
何が言いたいかというと、
①自分の型を持っている人カッコ良い
②自分の型を持っている人精神的にもどっしりしててすごい
③自分の型を持っている人、他人の型にも寛容で人間性が素敵
この辺りを感じ取って、
めっちゃカッコ良い!!!ってなります。
もちろん、
教育業界でもそういうスタンスの人はいらっしゃるはずです。
ぼくもそのような人になりたいと思っています。
ただ、まだまだ未熟だと自認しております。
それには、もっと経験するべきことが多くあると思うからです。
本当の自分の型を持っている人は、
見てきた世界の数が違うんだろうなと感じます。
子どもたちにも、
自分の型を見つけて欲しいです。
ただ、頭ごなしに自分の型を見つけた気になるのはどうかな?と思います。
数学の点数が低いから文系、
発達検査で記憶優位と言われたからそれを強みに、
なんかむず痒い感覚になります。
もったいないとでも言いましょうか。
ある程度の方向性は見出せられるでしょうが、
それをどう捉えるかは、
もう少し柔軟でも良いんじゃないかと感じてしまいます。
自分は得意なことだけして、
得意じゃないことは全く関係ありません。
だと、得意じゃないことを得意としている人とは、
いつまで経っても分かり合えないかもしれません。
これもぼくがこれまでの経験則で語っているだけで、
実はいつかは分かり合える何かが訪れるのかもしれません。
さあ、久々の哲学モードですが、お付き合いください(笑)
得意なことや心地よいことだけを突っ走ると、
その分野で分かり合える人と知り合う可能性は高めでしょう。
それが類は友を呼ぶなのかもしれません。
「類は友を呼ぶ」って呼んでますね。
言い得て妙です。
一方向を極めるのも素敵ですが、
十人十色いろんな考えの人がいて、
それらの人とどう共存していくのかが、
やはり人生の醍醐味と感じてしまうのです。
なんか多分ですけど、
得意にフォーカスして苦手は追求しないが王道の療育業界において、
相当異端な感覚の持ち主であることも自認しております。
主観も入っているので、
僕の人生の醍醐味は人と違う場合も往々にしてございます。
Findでは、
進路に迷ったり学校への興味期待が薄れてしまったり人間関係に疲れた子どもたちと、
毎回のように人生について語り合います。
こちらから押し付けることはないので、
そのあたりはご安心ください。
なぜなら、
僕と子どももまた十人十色であることを理解しているからです。
自分の成功体験が必ずしも誰かの成功体験になるかは言い切れませんが、
自分の成功体験があわよくば誰かの成功体験に繋がる可能性は否定できません。
考えてみたら当然のことで、
それまでの経験値やコンディション、環境の違いなど様々な要因で、
個々人にとってベストはずれてくるものです。
親子であってもズレは生じます。
1日1日の中での選択の数々、
それをするのは最後は自分です。
それによって少しずつズレは起きているはず。
まずは、そのことを理解する。
できるならば基本を抑える。
または、基本であってもまだ抑えられていない部分があることを知っておく。
(ソクラテスさんの「無知の知」みたいなことです。てか、ソクラテスさんが何千年も前に僕が言いたいことほぼ全部言ってるんです。やばすぎませんか?)
そうすれば、
あとは無気力になっていなければ、
自然と探究心や好奇心に突き動かされて、
一極集中で何かを極めたり、広く浅くいろんなことに足を運んだり、
自分の型を生成する基盤作りに尽力していくんじゃないかな?とおもいます。
現代社会は、そういった気力をバーチャルの方面で完結させる(させてしまう?)仕組みが溢れているので、
真の自分の型へ辿り着くのは、
実は一昔前より難しくなっているのかもしれません。
そして、教育業界でこれらを極めるって、
もうそれは人生全ての達人を目指すことなんですよね。
と言った側からですが、
スポーツ選手も芸術家も、
何かを極めていたら実は人生全てに繋がる思考だったというパターンが多いようです。
うーん、つまるところ何かに打ち込んで掘って均して掘って均して、
こういった作業をしていくのが、
自分の成長には必要なエッセンスなのかもしれませんね。
夜中に思考しすぎて眠くなってきたので、失礼します。
塾長 森
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