日記

リアルとSNS

リアルとSNS

あなたの塾Findでは道徳教育(主に事象や物事への多角的視点を養うこと)に力を入れています。

ほぼ毎回の授業で自作の道徳問題について子どもたちに考えてもらうようにしています。

書字に苦手感があり、

プリント学習に嫌気がさしてしまった子に対しては、

お話をすることで道徳心を養うことに注力しています。

そんな関わりをしている中で、

ここ最近非常に気になる出来事が。

趣味オンリー

学校では子どもたち同士でどんな話をしているのか。

例えば、Youtubeやゲーム、どこかへ出かけたことや部活などなどでしょうか、

自分の特技、絵を描くことやサッカーをすることなど、

時には、誰と誰が付き合っているとかも話題に上がりそうですよね。

ところが、学校で話すことと言えば、

「ゲームの話」一択になりつつあるようです。

当社比でしかないのですが、

5校以上に通っている子どもたちと会話する中で、

聞き取りをして概ねというか全員がその話しかしないとのことでした。

こちら側から友だちに突っ込んだことを聞けないタイプであることも多少は影響しているでしょうが、

友だち側からも特に聞かれることはないとの話でした。

配慮と無関心

ここでまず議論したいのは、

それが配慮なのか無関心なのか。

配慮をすることが大切なのはこういった形態の塾を経営している身として重々承知しています。

触れられたくないことにわざわざつっこむべきではないことは、言うまでもありません。

みんながうまく配慮して見守っていく環境はとても素晴らしいです。

ところが、少しの違和感が発生します。

子どもってそんなに配慮できたっけ?

従前の子ども像を思い浮かべると、

余計なことを言ってしまってぶつかって解決するケースがあったり、

気になることは疑問を投げかけて、

他者への興味や繋がりがより強くなったような経験があるかと思います。

きっと本質的な成長は、こちらから生まれるのではないかと思います。

もちろんめちゃくちゃ相手の気持ちを想像することが上手な子どもは、配慮を徹底できるでしょう。

ところが、“関わらないでおこう”と、日々を過ごしているのだとしたら寂しいですよね。

せっかく学校に行っているんだから、関わってもらいたいし、関わりたいものです。

上記のような根本的な関わりの有無に関してもそうですが、

積極的に話しているのにも関わらず、

先に述べたようにゲームなどの極めて特定の事項についてのみ共有するだけで、

よりパーソナルな部分についてはあまり関心がないというのも、

これまたいかがなものでしょうか?

SNS上でのやりとりなどは、

関心があることのみに偏ってしまいますよね。

それに近いコミュニケーションの取り方だと言えるでしょう。

または、いわゆる都会的になってきていると言えるのかもしれません。

子どもたちは、Youtubeなどで、

声高々に人との関わりについて発信している人たちの意見を我が物顔で使い回すことも最近気になるポイントです。

令和の若者視点でものを語る人たちに共感して、

”余計なことを言わない”社会を形成していっているのかもしれません。

Findに来ている子たちにコミュニケーションの取り方を伝授してあげれば良いと言う話ではなくて、

社会全体が、どんどん閉鎖的になっていっている気がして、今回ブログにて警鐘を鳴らさせていただきました。

人と人の繋がりはいったいどうなってしまうんでしょうか?

制度ばかりが見直されていますが、

そこに心は残っているんでしょうか?

本当に困った時は、心で動くべきでしょう。

現状、無機質なコミュニケーションが蔓延っている気がしてならないです。

ご家庭でも学校の出来事を積極的に聞いてあげてほしいです。

私が犬の散歩をしていると、

近所のおばあちゃんたちからあれこれ話しかけられます。

そういった古き良き田舎の情景は今後どうなるんでしょう。

塾長 森

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