
こんにちは。
最近、
当事者の方(以下Aさん)の講習を受ける機会がありました。
この方の意見と、
僕が常日頃考えていることがかなり一致していたので、
少々込み入った話をさせていただきます。
そのレールは何処へ?
Aさんが1時間の講習の中で、
頻繁に挙げていたフレーズが、
「国が敷いたレール」でした。
Aさんは、すでに成人されており、
脳性麻痺がありながら、
原稿を執筆する仕事を受けて活躍されています。
前提として、
障がい者のことを、
“努力をすれば治るだろう”と捉えられることには、
危険視されていましたが、
昨今の社会福祉業界のスタンスと、
元を辿れば、
国の敷いたレールの行き先には疑問を呈しておられました。
というのも、
本来、社会福祉では、
『社会の中でどう生きるか?』を考えて支援してもらうべきであるのにも関わらず、
現在の流れとして『職員が利用者に気を遣いすぎて、できることも手を出してしまっている』というのです。
支援学校においても、
施設探しに注力するものの、
『社会の中でどう生きるか?』の基盤を、
忘れてしまっているのではないかというものでした。
Aさんは、
自分のことをよく理解してくれるヘルパーさんと巡り会うことができ、
社会福祉制度以外に、
趣味となる習い事も見つけてくれたことで、
自分らしく社会の中で生きていくことができていると話されていました。
“国が敷いたレール”は、
僕も常に疑問視しているところですし、
何より、
そのレールにがっつり乗っかっている社会福祉施設が、
もうすでにたくさんあるということに、
なんとも言えない無力感を覚えます。
本当に楽しいこと
Aさんの例を挙げると、
幼少期から色んな施設にいったり、
支援学校やヘルパーさんとの関わりなど、
様々な経験をされていらっしゃるようです。
必ずしも満足ではない時間も経験されていたようで、
それでも素敵な方との繋がりがあったことから、
今も多種多様な活動ができていて、
心も満たされているとのことでした。
前段の“国の敷いたレール”問題ですが、
そのレールが整備されてきていることで、
安心感は高まっているでしょう。
ところが、
自分の意思で選択して、
楽しいことを選択するという、
人としての権利は、
ちゃんと保証されているのでしょうか。
Aさん曰く、
支援において、
「一人でできることを支援者がしてしまうことも、権利を奪うことになる」
と話されていました。
この言葉にあるようなことを、
あなたの塾Findが最も意識していることです。
ここをどう伸ばしていくかが、最重要事項です。
社会福祉施設や学校などでの関わりを見ると、
様々な原因があるとは思いますが、
この大事な部分を見逃してしまっていることが散見されます。
ご家庭においても、
この部分を最も大切な部分として、
あまり手を出さないようにすることが大切です。
また、学校側へ配慮をお願いする際に、
助けて欲しいことを伝えるだけでなく、
「ここは自分でできるから」「幼少期から取り組んできたことだから」など、
継続して見守って欲しい部分も明確に伝えておくことは有効でしょう。
あなたの塾Findでは、
この部分をしっかり見極めて、
一人でできることは見守りに徹しています。
また、
「それ本当は君一人でできるんだよ」ということも教えています。
逆を言うと、
他所では誰かに助けてもらいすぎているのです。
そういうことって、
何気ない変化なので、
うまくできるようになっても、
なかなか気づきづらいのですが、
そういう変化こそ褒めてあげることが大切です。
引いては、
その先に、自分が心から楽しめることが待っていると思うのです。
以前から話しているように、
ゲームをしているものの、
別に楽しくはないという発言が、
毎日のように聞かれます。
特に1日にかなりの時間をゲームに費やしている子たちから聞かれます。
やっぱり息抜きは、程々にしておくのが良いのでしょう。
すでに、自分にとって欠かせないものを見つけている子たちもいますが、
まだ何をするのが楽しいことか模索しているような子たちには、
何かビビッとくるものが見つかると良いなと思います。
僕の大学時代、
無趣味だと嘆いている友人がいて、
4年間、何か趣味を持った方が良いんじゃないかと説得し続け、
時には、釣りに誘ったり、買い物に一緒に行ったりしましたが、
結局何も刺さらず、
たまに会うと家で、
惣菜片手にビールを飲んでYoutubeを見ることが楽しいと話していました。
インドア派の方がいることも理解していますが、
人間も動物であり、
健康的観点からも日光にあたるような趣味があっても良いのにな、と思ってしまいます。
塾生たちに趣味の強要をすることはありませんが、
みんなが色んなことに興味を広げてくれると嬉しいです。
塾長 森
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