僕ははっきり言って型にハマることがずっと嫌いでした。
それなのに教師を目指そうとしていたなんて、
今となっては笑い話です。
先日、
とあるトラブルが起きて、
公的な職業の方と話す場面がありました。
そこで感じたのは今までも何度も味わってきた感情。
「どうして今そんな風に言えるのか」
「この人たちはそんなマニュアル通りで良いのか」
僕はバイト時代から、
研修なんかが大嫌いで、
多分自分でより良い接客を見つけて実践してきていたと思います。
だからと言って先輩たちに目をつけられるようなことはありませんでした。
それは運が良かっただけかもしれません。
ただそれだけではないことも自分では感じています。
言葉に表すのはとても大変ですが、
とにかく自分みたいな人間が道を踏み外したら厄介だろうなとは思います。
高校の最後の文集で他己紹介をした時に、
僕のことを“ペテン師”と称した誰か分からない同級生はすごいなと今でも思います。
はてさて、なんの話をしていたんでしたっけ。
これは(先のトラブル)私が自分の意見は自分で言える世界で生きていこうと思い、
起業精神が目覚めることとなった出来事と似ているのですが、
あの人たちも、本当は自分が今どうしたら良いか分かっていたはずなのです。
ミスなく極めて穏便に、そして指示通りに。
このような心理で対応してきたことも重々承知です。
もちろんそこで予定外の行動をとったために、
何かミスが出ればその人がどうなるかは分かりません。
それがいわゆる「社会」なのでしょう。
僕はある意味で、
そのリスクから逃げたのでしょうか。
そうと思われても仕方がないかと思います。
世間のマジョリティとしては、
お堅い人はお堅いことしか言わない。
これが通説となっているでしょう。
でも、私の疑問は
「本当にそうか?」
です。
みんな本当に日常で自分の都合に合わせて目をつぶっていることがないと言えるのか。
効率よく・円滑に・規則だから。
様々な信念によって、温かい何かを見逃していませんか?
子どもに「なんで?」と聞かれた時に、
即座に答えられますか?
またその答えに嘘はないですか?
僕はもっと情に流されたっていいと思います。
ほら、少年漫画の主人公のように。
先のトラブルで対照的にすごく温かい人たちがいました。
自分の状況なんかほったらかして、
気づけば動いていたという彼ら。
そんな人に私はなりたい。
中野先生がいよいよ小説家として、
芽吹きそうな予感に触発され、
私的な長文を書いてしまいました。
災害が相次いでいて非日常を過ごしている方も多いかと思います。
皆様もくれぐれも用心してください。
塾長 森
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