なんか急に寒くなってきて、
寒さが苦手な僕ですが、
日本に生まれたことの意義として四季の豊かさを挙げたい人なので、
どこか嬉しかったりもします。
「分からないよ」「教えてください」
これが言えない子どもは学校や社会で辛い思いをする。
これは間違いない事実です。
僕も社会性を身につけるためにも、
自分ができないなら他人がいるよと知らせるために、
難しい問題だろうなと思うときや、
プライドが高く自分で解決する方向性ばかり探るような子どもには
「もし分からなかったら、先生に訊いてね」と前置きします。
この習慣が身についた子どもは必要とあらば、
誰かを頼る力を身につけていきます。
そしてそれで良しとすることがあります。
果たして本当にそれだけで良いかというと、
そうではないように思います。
例えば、全く思考していないのに、
誰かに頼れたらそれで良いのか?
みんなが優しい性格ならそれでも良いかもしれません。
しかし残念なことに人間社会はそうはいきません。
やっぱり最初は「自分」で思考することが大切なのです。
なので、僕は、
これまで解けていたような問題で、
見るからに集中力が欠落している状態で問題と向き合っている子どもが、
「分からん教えて」と言ってきても決して答えをいうことはありません。
「きっとできるよ。ここ見た?」
プライドが高い子どもが自己判断で出来ないと決めつけ
投げやりになってしまっていても、
「もう少しゆっくり読んだらできるよ」
これぐらいの声かけです。
これをどの年齢の子どもにも言います。
そうするとどうでしょう7−8割自分で解ける問題なのです。
解ける解けないが問題ではなく、
自分が自分を信用する力をもっとつけなければなりません。
自分ができないから教えてもらおうでは単調すぎるではありませんか。
できないけど、もう少し考えたら何か違う考えが浮かぶかも。
これを子どもに植え付けることが大切で、
自立心にも繋がってきます。
この指導も特に何かが必要なわけではありません。
子どもの集中力ややる気を可視化するようなスキルはいるかもしれませんが、
どなたであっても「もう少し頑張ってみようよ(とても優しい感じで)」
というぐらいはできるはずです。
その後の様子を見ることで、
教える側も子どもの苦手感に気づくことだってあります。
どちらにとっても有意義なこの「1ターン」を
是非とも身につけてみてください。
塾長 森
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