こんにちは。
急激に寒くなりましたね〜。
もうこれ、夏か冬しかないやん。
四季じゃないやろ。なんて思ってしまいます。
なのに、秋花粉がすごい。
(結局秋あるやん。)
皆さんにつきましては、お身体の調子は崩されていませんでしょうか。
さて、本題ですが、
僕が以前から大事にしている、
「待つ力」にリンクして、
なぜ待つことが大切かということを捕捉できたらなと思います。
子どもが何か取り組もうとしている際に、
ついつい気になって声をかけてしまうことってありませんか?
ましてや、やり始める前から言いすぎてしまったりした経験はございませんでしょうか。
なかなか始めないな〜とか、分からないのかな?と良かれと思って、
伝えているのかもしれません。
しかし、僕はそこで待つことを重要視しています。
注意点として、何か問題を与えたときに、
「もし分からなかったら、こう言ってね(こうしてね)」と先に伝えておくことは必要です。
では、待つことの意味はどこにあるのか、、
それこそは、「意志」がどのぐらいの割合であるか、です。
意志に関しては、
「自由意志」というものは、
そもそも存在しているのか?
という哲学的問題があり、
決定的な答えは出ていません。
今あなたが、お茶を飲もうとした行為は、
どういう思考回路で行われたものなのか。
それを深く突き詰めていくと、
それが自由意志と呼べるかは定かではありません。
個人的には、自由意志はあるのではないかと思っていますが。
話が脱線しましたが、
僕は、何を望んでいるかというと、
子どもが自分の意志で、
それぞれの問題に対して、
こうやって行動しようと考えてくれること。
この勉強は、先生にやらされているからやらなきゃいけない。
この勉強をやったら、先生がなんかくれると言っていたからやった方が良いかな。
この勉強をやることで、自分の将来に繋がるからやりたい。
そもそも勉強をすることが楽しいからやりたい。
このどの段階か。
最終的には、その取り組み自体を楽しんでくれることを望んでいます。
それには、いつまでもこっちから口を出しているようでは、
次の段階へ進んでいけません。
これは勉強に限ったことではありません。
鉛筆を筆箱に片付けろと言われたから片付ける。
鉛筆を筆箱に片付けたらおやつをあげると言われたから片付ける。
鉛筆を筆箱に片付けた方が、机の上が綺麗になるから片付ける。
鉛筆を筆箱に片付けた方が、他の人に迷惑にならないし、怪我をさせる心配も減るから、安心。
自分が主体となって、いかに思考していけるか。
これは、人に言われて行うだけでは、
身に付きにくい能力じゃないかと思います。
待った先に、
自分で思考し、行動に起こすことができたら、
それを認めてあげて、
さっと振り返りをすれば良いのです。
特に、プライドが高いお子さんには、
このように主体性を持たせて、
自分の意志で活動できる時間を増やしてあげることが大切ですし、
その子を社会の一員として認めてあげるためには、
欠かせない関わりだと自負しています。
塾長 森
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