日記

あの日の森⑥

あの日の森⑥

こんにちは。

逆走台風が過ぎましたね。

お仕事の方もいらっしゃるかと思いますが、

影響は出なかったでしょうか。

今回は、

大学時代以降のあの日の森を振り返ります。

中学生の頃から漠然と先生になりたかったので、

とにかく教員免許が取れたら良いやという精神で、

大学受験をしましたが、

センター試験の数学ⅡBで23点を叩き出し、

第一志望は落ちました。

なんとか、

入れた大学で、

大学生活をスタートさせるのですが、

とにかく不貞腐れたスタートでした。

知り合いはあまりいないし、

チャラついた雰囲気の人たちが多く、

入学時から一匹狼モードを発動させて、

最初のガイダンスなども、

早々に途中退席しました。

すると、

僕より先に、

歩いて帰っている人が1人いるじゃないですか。

そんなバカなと思ったのですが、

彼は、

下駄を履いていて、

新入生とは思えない髭面で、

おそれすら感じたのですが、

勇気を出して話しかけてみると同級生でした。

この時から、

彼とよく帰るようになりました。

同じ学科で、

もう一人学生番号が近かった友人も一緒に帰るようになり、

3人で過ごすことが増えました。

高校時代の帰り道もそうだったのですが、

ここでも、

僕が喋りで笑いをとる習慣ができて、

いつも笑いながら帰っていました。

ある日、

このままでは、

自分ばかり喋ってしまうと気づき、

友だちのエピソードを聞いて、

笑いで落とす側に回ることを意識し始めました。

この時のスキルは、

今でも割と生かされています。

大学は、

特に面白いエピソードもなかったのですが、

教育実習に行った初日に、

学生たちと打ち解け過ぎて、

担当教諭の方に、

怒られるという経験をしました。

『先生と生徒の立場を明確にせよ』とのことでしたが、

悔しかったら仲良くなって見ろと言わんばかりに、

その後も続けました。
(やることは誰よりも早く終わらせていました)

実習中のある日、

集会が早く終わって、

教室に戻った時に、

担当教諭から「じゃあ森先生が特別授業をしてくれるそうです」と無茶振りして来ました。

どういう意図かはわかりませんが、

15分ぐらい丸投げされたのです。

そこで僕は15分、

色んな偉人の話を交えながら話しきりました。

すると、

TT制(ティーム・ティーチング)だったので、

もう一人優しい教諭の方も見てくれていたのですが、

授業が終わってから僕のとこに来てくださり、

小声で「あれ用意してたんですか?」と言われ、

「用意してないです」と返して、

ものすごく驚かれたことを鮮明に覚えています。

教育実習最終日には、

あろうことか教頭先生の私物の海外の硬貨と紙幣を借りることに成功し、
(どうして借りられたんだ?)

それを用いて研究授業をするなど、

今思えば、

心臓に毛が生え過ぎの授業を完遂させ、

打ち上げに呼ばれた時には、

校長先生はおられなかったと思いますが、

学年団プラス教頭先生に養護の先生や、

副教科の先生らも参加してくれて、

大宴会を開催してもらい、

あろうことか2時間漫談を披露すると、

「君、これ終わってからも集会の時とか来て話してください」と

スカウトを受けたのを鮮明に覚えています。

担当教諭がそこにいたかを覚えていないということは、

相当に歪みあっていた説があるのですが、
(実習生の分際でいがみ合うなよ)

それでもやり過ごせたのは、

他の先生たちに可愛がられていたからなんだろうなと後から感じました。

とにかくその数週間の実習で、

「ああそういうことね」とたくさん学びました。

担当学年ではない学年で、

授業に参加したり、

修学旅行から帰ってくる人たちの交通整理をさせられたり(させてもらったり)、

時間に余裕を持ち過ぎて、

明らかな雑用まで任されていました。

僕の他にも実習生はいたのですが、

みんな顔が必死な感じで、

終業後も居残りをして21時に学校を出るといった生活をしていたので、

僕もなんとなくそれに付き合うため、

学生と顧問の先生に混じって部活をめっちゃして、

雑用を任されたりして過ごしていました。

とまあ、

教育実習での思い出が一番濃いかもしれません。

しかしながら、

教員になりたい気持ちより、

自分で起業したい気持ちが沸々と強くなっていました。

教育実習での経験以外にも、

学校の中のことを知る出来事が多々発生していて、

そこでは、

多くの人がしないであろう経験を積んだことが理由です。

結果的に、

教員採用試験は、

不採用という結果に終わり、

大学卒業後、

特にやることがないまま迎えることになりました。

フリーターとして過ごしていたある日、

ひょんなことから学校関係者の方と知り合い、

前職の立ち上げの話を聞き、

児童発達支援事業所にお邪魔することになりました。

一回見学に行くだけという話だったのに、

その翌日から毎日見学に行くというど根性を発揮し、

2週間お邪魔したあたりで、

アルバイトで雇用していただけることとなりました。

これが、

今に繋がる最大の分岐点だったと思います。

あの時、

毎日見学に行くと決めたことが、

一番ナイスな選択だったと思っています。

今でも繋がりがある子たちもいて、

成長の過程に関わらせていただくことの尊さを日々実感しています。

塾長 森

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