
おはようございます。
隣の芝生は青く見える、
ないものねだり、
と言ったように、
他者に憧れることわざは、
古くから存在しています。
周りの空気を読める人のことを、
気配りができてすごい人だと評する人がいたかと思えば、
みんなに愛されキャラで、
嫌味が一つもない人のことを評する人もいるでしょう。
濃淡こそあれど、
自分と対をなす存在やキャラの人のことを、
いいなぁ〜と思うのは自然な心理でしょう。
環境に置き換えても、
都会と田舎、
山と海、
対極にあるもの同士、
よく見えるものはお互いあるでしょう。
どの場合も、
自分(本人)は、
どちらかの立場にあって、
一方の人生を歩んでいるので、
楽しいことも経験すれば、
辛い経験もあるので、
自分の知らない人生を歩んでいる誰かのことを羨んだりするのです。
でも、
相手の側に立ってみれば、
きっと辛いことだってあるだろうなと思慮を巡らせることはできるのではないでしょうか。
多様性を認める中で実は核心となるのが、
この視点だと思っています。
『みんなで揃って生きやすい世の中を作る』という発想より、
『みんなそこそこ楽しいし、それぞれしんどいこともあるよね』
『しんどくなったら僕に頼ってよ。僕も頼るからさ』
これぐらいで良いと思います。
SDGsの理念にも、
「誰一人取り残さない」が重要項目として挙げられています。
もちろんそうあるべきですが、
『うわぁ、めちゃくちゃ取り残されてるっ!』と思う瞬間は出てきます。
大事なテスト範囲発表の日に体調不良になった時、
少し学校に行きづらくなった時、
話題のカップラーメンが手に入らなかった時、
都会で開催されているイベントに行けなかった時、
100%取り残されてないと感じることは、
不可能でしょう。
社会構造や公的システムとして、
みんなを支えてくれる制度が整うのは、
大変ありがたいことです。
しかし、個々のやりとりにおいては、
誰だって長所があれば短所があるように、
良い時もあれば良くない時もあるし、
普段から完璧に整備された状態は難しい、
と考えた方が良い気がしています。
皮肉なことに、
世の中が便利になり、
社会構造(規範)が整備されて、
いろんな意見がすぐにネット等で目につくからこそ、
昭和平成の時代より、
『うわぁ、めちゃくちゃ取り残されている!』と感じやすくなってしまっているのかもしれません。
学校の先生(公務員)視点
話を学校の先生に置き換えると、
行政からおりてきたものを現場で実践する。
しかし、
現場では、
制度で縛れない個々の問題が生じる。
かと言って、
指導要領や学校経営から逸脱した行動をしづらいとあっては、
身動きが取れなくなってしまいますよね。
見かけ上の理念と、
本質的な妥協点が乖離してしまった状態で、
適切な判断を連続して続け、
常に正解を出し続けるのは、
相当難しいと思います。
『絶対こうしなきゃいけないんだ』と思い続けた結果、
『こうしてさえいれば、とりあえず大丈夫』と、
意識転換してしまうことだってあるでしょう。
しかし、
公務員である以上は、
職務を全うすることこそが、
最優先事項なのです。
令和に、金八先生は出てこないとして、
ネット番組などで、
討論されていることも多いですが、
整備した結果、
熱量を閉じ込めてしまって、
燻らせているうちに、
沈下してしまっている先生たちもたくさんいるのではないかと推察します。
もちろん、
世の中には、大変熱量高く、
休日に自分たちの授業を発表し合っている先生たちがいらっしゃることも存じています。
そういった先生たちに、
どんどん自分を出してもらって、
本当の意味での多様性が認められる学校になると良いですよね。
何やら、令和にGTO(私立高校勤務設定)がリバイバルされるとのことですが、
どんな内容になっているでしょうか。
ちょっと気になるところです。
P.S.今朝も、ガソリンスタンドでバイトしてる高校生ぐらいの若い子が、
散歩中のおばあちゃん軍団と立ち話しているのを見かけました。
世の中、まだまだ見限るには早すぎるかもしれませんね。
塾長 森
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